※ これは、漫画「オルフェウスの窓」を読んだわたしが、漫画の一ファンとして勝手に思いをはせたものであることをお断りしておく。ここに書いたことはわたし個人の私見であるに過ぎない。
「オルフェウスの窓」:1970年代に連載された池田理代子作の長編漫画。物語の主な舞台はドイツのレーゲンスブルグとロシアのサンクトペテルブルグ。革命を進めようとするロシア人青年クラウス(アレクセイ)に恋したドイツ人女性ユリウスの波乱万丈の物語である。
「オルフェウスの窓」とわたし
ロシアと関わりを持つ、ある世代の人のほとんどが、おそらく一度は漫画「オルフェウスの窓」(池田理代子作)を読んで、サンクトペテルブルグに思いをはせたのではないだろうか?
かく言うわたしもその一人。「オルフェウスの窓」を初めて読んだときは、まさか自分がロシア語を学びサンクトペテルブルグの街にやってくるなどとは考えもしなかったけれど、クラウスを追ってユリウスがやってきた街、クラウス、いやアレクセイ・ミハイロフが革命に命を賭した街、サンクトペテルブルグは、強く印象に残っていた。
その後サンクトペテルブルグに住むようになってから、街中でふとした瞬間に「オルフェウスの窓」を思い出したことは数知れない。
真冬にバスに乗ったとき、タロン(昔の切符。現在はこのシステムは廃止された)を機械に通そうと手袋をはずして素手で鉄の手すりをつかもうとして、日本人の友達が「オルフェウスの窓にあったやん。素手でつかむと皮がくっつくかもよ」と注意してくれたことがあった。
わたしはそのエピソードを忘れていたけれど、帰国後日本でもう一度読み返してみたら、しっかりあった。サンクトペテルブルグに来たばかりのユリウスが素手で列車の手すりをつかもうとしたとき、ロシア人のおじさんが注意するのだ。
「オルフェウスの窓」に出てくるサンクトペテルブルグの景色

「オルフェウスの窓」が連載されていたのは、1970年代(1975〜1981)。サンクトペテルブルグはレニングラードとして鉄のカーテンの向こう側にあった。おそらく資料写真もかなり限られていたに違いない。初めてペテルブルグに行った後読んだときには、漫画で見られるペテルブルグらしい風景は限られているように思えた。が、足かけ8年住んだ後、改めて隅々までよく読んでみると、実に細かいところまでペテルブルグらしい背景がたくさん用いられていることに気づいた。原作者の池田理代子さんは実際にレニングラード(ペテルブルグ)に行かれたのだろうか。
(後日、池田理代子さんのファンの方から聞いたところによると、ロシア編の連載が始まる前に、やはりロシアに取材旅行に行かれたのだそうだ。当時は旅行者が行けるところもかなり限られていただろうし、写真撮影も厳しく制限されていたのではないかと思う。漫画を読んでいると、その厳しい条件の中でも池田理代子さんはかなりの写真を資料として撮ってこられたように思える)
「イサク聖堂」「旧海軍省」「冬宮(エルミタージュの一部)」「ペトロパブロフスク要塞」「スパス・ナ・クローヴィ聖堂(血の教会)」などは、ペテルブルグを象徴するシーンなどで繰り返し見られるが、それ以外にも街を歩くシーンでよく出てくる運河だか川のシーン、これも、モイカ川沿いやグリバエドフ運河、フォンタンカ川の辺りで見たようなありそうな風景だ。その他にも読めば読むほど見れば見るほど、ペテルブルグの香りが漂ってくる。
ミハイロフ家に引き取られたばかりのころ、アレクセイがドミートリィに連れられて丘(高台)のようなところからペテルブルグの街を見下ろして話をするエピソードもあるが、残念ながらわたしの知る限りペテルブルグにこのような丘はない。ペテルブルグは完全な平地なので、「坂道」というものすら存在しないのだ。サンクトペテルブルグの景色は横長だ。土地の高低がない上、建物も高さ制限のせいで中心部は一様に低いのだ。景色は平たく横に広がっている。
でも、アレクセイが初めてドミートリィと兄弟の語らいをするあのシーン、あの丘はやっぱりどこかにあるような気がする。丘ではなくてもどこか高いところ。たとえば、イサク聖堂の展望台からはサンクトペテルブルグの中心部がよく見渡せるけれど、もしかしたらアレクセイたちが見たのはあんな景色だったのかもしれないと思う。
(これは後日、改めて原作を読み返してみて、やはり「イサク聖堂の展望台からの景色」がそれに一番近いのではないか、という気になった。「要塞が見えて、ネヴァ河をはさんで手前に冬宮が見え、更にデカブリスト広場が見えるところ」となると、やはりイサク聖堂近辺からの景色ではないかと思うのだ)
こんな風に、わたしは漫画でははっきりとは確かめにくい景色を、現実の今のサンクトペテルブルグで探そうとしてみた。
あの場面の景色を求めて
ドミートリィが処刑されたのはどこだったのだろう。ドミートリィが処刑前に入っていたのはペトロパブロフスク要塞だと書かれてあるし、銃殺後に出てくる景色も、要塞内にあるペトロフスキー門のようだ。要塞の中には政治犯の牢獄もあったし(現在は博物館として公開されている)、確かに処刑のシーンにあるような感じの広場がある。

ネフスキー大通りからアニチコフの橋のそばのカラバンナヤ通りに入ったところに、「この建物の中に出版所『フペリョート』があった」というプレートのある建物がある。「フぺリョート」はボリシェビキの出版所で、新聞の名前でもあった。漫画の中では、アレクセイがボリシェビキに反対するアルラウネに隠れて「フペリョート」を読んで、そのせいでミスをして仲間が捕まってしまう。ただし、アレクセイが読んでいたのは「外国で発行している」フペリョートだったとあるので、ここで出版されたものではなさそうだが。

ユリウスを密かに愛し、帝政ロシアと供にこの世を去ったレオニード・ユスーポフ侯のモデルは、実在したフェリクス・ユスーポフ公爵だろうと思う。実在のフェリクス・ユスーポフ公爵は、皇帝ニコライ二世の姪イリーナと結婚してラスプーチン暗殺に関わっている。漫画の中では「ネフスキー大通りのユスーポフ邸」として出てくるが、ユスーポフ宮殿は実際にはマリンスキー劇場近くのモイカ川沿い(モイカ河岸通り94番地)にあって、現在は博物館として公開されている。ここでラスプーチンは殺された。そのラスプーチンが殺されたと言われる部屋も蝋人形付で見ることができる。

だが、漫画のレオニード・ユスーポフ侯は革命勃発後自殺したが、実在のフェリクス・ユスーポフ公爵はフランスに亡命して、回想録を書いたりして1967年まで生きている。写真で見るフェリクス・ユスーポフ公爵は線の細い感じの美形で、わたしが抱いている漫画のユスーポフ侯のイメージとはだいぶ違う。
アレクセイが育った家、ミハイロフ邸はいったいどの辺りにあったのだろう? 漫画には「ゴローハヴァヤ通りのはずれ」と出てくるが、ゴローハヴァヤ通りは、旧海軍省からモイカ川、グリバエドフ運河、フォンタンカ川を越えてザーガラドヌィ大通りまで走る、細いけれど比較的交通量の多い通りで、2002年現在は北方向(旧海軍省方向)一方通行になっている。現在ではその通りのどこもが「ツェントル(中心部)」であるが、当時は冬宮から近い旧海軍省側が中心部であっただろうから、その通りの「はずれ」ということは、ザーガラドヌィ大通りに近いフォンタンカ川を挟んだ辺りに、ミハイロフ侯爵邸はあったのだろうか?
アレクセイの沈んだ川は?

思いはいろいろつきないけれど、サンクトペテルブルグを離れるにあたって、わたしが一番探し求めたのが、アレクセイが沈んだ「ネヴァ河」だ。漫画では、「アレクセイはネヴァ河に沈んだ」と書かれている。でも、そのシーンでは、実際のネヴァ河よりはかなり川幅が狭いように思える。

サンクトペテルブルグにはたくさんの川や運河が流れていて、「ネヴァ」の名前がつくものも、大ネヴァ河をはじめとして、小ネヴァ川、大ネフカ川、小ネフカ川があるが、それらもやっぱり川幅が漫画より広いような気がするし、流れている場所がバシリー島やペトログラッツカヤの方で、わたしのイメージでは物語の舞台は中心部(ツェントル)なので、違うような気がする。

中心部を流れる川や運河の中で川幅が漫画に似ているものとなると、モイカ川とフォンタンカ川、もしくはグリバエドフ運河ではないかと思う。グリバエドフは運河なので勝手に除外するとして、モイカとフォンタンカのどちらかだとすると、より川幅が狭いのはモイカの方。フォンタンカ川沿いに並ぶ家々は割と大きい、豪華そうな家が多いような気がするけれど、モイカ沿いに並ぶ家は狭いアパートが入っていそうな感じ。ユリウスが最後にかくまわれていたのは小さ目のアパートだったと思うし、アレクセイが沈んだ、あの暗いイメージにそぐう川となると、わたしはモイカかな、という気がする。
アレクセイが命を賭して祖国のために進めようとした革命は、その後成功はした。でも74年後、彼らのユートピアであったはずの国は崩壊してまた混沌としたカオスの時代がやってきた。アレクセイが今のロシアを見たら、いったい何を考えたのだろう? 思いはつきない。